第1回 柴谷の人となり 整体師になるまで
あなたのペースで身体のセルフメンテナンスができるまでサポートします。
【人生を楽しむためには健康でなくちゃがモットー】整体院Handandの柴谷です。
今回のテーマは「第1回 柴谷の人となり 整体師になるまで」です。
ブログに書くことなのか?と自問自答しましたが、お恥ずかしい話HandandのHPが充実していないので(苦笑)今回あらためて自己紹介を兼ねて私の話をしたいと思いました。
私は35歳までサラリーマンをしていて、その間何度か転職をしました。
隣の芝生は青かったということも感じましたが、会社員として働くこと自体に疑問を抱くようになり、やがて自分の力で生きてみたいと思うようになっていきました。
そうは言っても会社員を辞める勇気はなく、自分の気持ちを内に秘め会社員を続けていました。
2011年3月11日14時46分。
そんなとき起きた東日本大震災。
職場の机の下にもぐり地震の揺れが治まるのを待っているとき、頭をよぎったのは「死」でした。
大げさに聞こえるかもしれませんが、停電の中電子音が鳴り響き、建物は音を立てて大きく揺れている中、机の下で耐え忍ぶだけの状況は味わったことのない恐怖。
死を意識するほど怖かったのは事実です。
そして、あぁこのまま死んじゃうのかなと脳裏をよぎりました。
幸い、揺れが治まり屋外に避難することができました。
この時、私は脱サラをして整体院を開業することに決めました。
整体師になると言っても今までとは全く畑違いの仕事なので、どこかで働きながら技術を身に着けるのか?整体スクールに通うのか?しなければいけません。
私は脱サラして整体師になるのだから、生涯整体師でい続けたいという強い想いがありました。
なのでどういう手技の整体をするのか、また整体師として雇われて働くつもりはなかったので、開業についても教えて欲しい。
そう考えると整体院で働きながら技術を身に着けるのではなく、自分に合った整体スクールを探すことにしました。
これがまた難航したんですが、それを話すとすごく長くなってしまうので今回は割愛します。
気になる方は整体を受けているときに聞いてください。
そして仕事を続けながら整体スクールに通うこと1年。
会社を円満退社し、2013年9月整体院をオープンすることができました。
鳴かず飛ばずの船出から仕事が軌道に乗るまで大変でしたが、熊本に引越す直前まで約5年整体院を続けることができました。
私にとってこの道のりはとても良い経験になりました。
次回は自己紹介をしたいと思います。